京あられ・京おかき歴史探訪
おかきはいにしえの都人の嗜好品として好まれていました。江戸時代、嵯峨天竜寺の塔頭、弘源寺に身をよせていた湧蓮(ようれん)上人は里人が差し上げた餅でおかきを造り里人に与え、自らも好物だったと伝えられています。
円山公園(京都市東山区)奥にある丸山安養寺、双林寺、正法寺の坊さんたちは「かき餅」を製造販売していました。元禄以前からです。このうち安養寺の製品が特に優れ「丸山欠餅」(まるやまかきもち)と呼ばれ、土産物として遠方に送られていました。
おかきはいにしえの都人の嗜好品として好まれていました。江戸時代、嵯峨天竜寺の塔頭、弘源寺に身をよせていた湧蓮(ようれん)上人は里人が差し上げた餅でおかきを造り里人に与え、自らも好物だったと伝えられています。
円山公園(京都市東山区)奥にある丸山安養寺、双林寺、正法寺の坊さんたちは「かき餅」を製造販売していました。元禄以前からです。このうち安養寺の製品が特に優れ「丸山欠餅」(まるやまかきもち)と呼ばれ、土産物として遠方に送られていました。